日本ハワイ移民資料館について

館長あいさつ

日本ハワイ移民資料館は周防大島からハワイへの移民の歴史を後世に伝えていくことを目的に、1999年2月8日に開館しました。周防大島町とハワイを結ぶ絆の深さは、日本ハワイ資料館にも表れており、資料館には移民の歴史から現在行われているハワイとの交流までを知ることができる、貴重な資料がたくさんそろっています。

周防大島からハワイへ渡った人々は5000人を超えると言われており、その孫たちは4世、5世、6世に及んでいます。近年ではハワイからルーツ探しに訪れる人々が増えており、日本とハワイとの交流のプラットフォームとしても当資料館が重要な役割を果たしつつあります。また、ハワイ移民の歴史を学ぶことで、郷土の歴史・文化を再認識する機会にもなり、学習や研究の場としても活用されています。

ハワイ移民のことを全く知らない方々も、移民の歴史を学び、ハワイとの深いつながりを感じることで、より周防大島を近く感じ、またハワイへの旅行が意義深くなることと思います。

これからもスタッフ一同、資料の充実と魅力的な展示、またさらなる日本とハワイとの交流の場になれるよう力を注いで参りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

日本ハワイ移民資料館 館長
木元真琴

周防大島とハワイのつながり

周防大島とハワイのつながりは明治時代までさかのぼります。ハワイ王国と明治政府の取り決めで始まった「官約移民」の時代(1885年〜1894年)には、周防大島全体で3913人をハワイへ送り出し、その数は日本全国からの送出総数29000人の約13.5%にものぼります。

元々島に根付いていた出稼ぎの文化、自然災害、そして当時の社会情勢などもあいまって多くの人々が周防大島からハワイへ渡りました。ハワイでは多くの人々がサトウキビなどのプランテーション労働に従事し、契約終了後には島へ戻ってくる者もいれば、ハワイに残り生活を築く者も多くいました。ハワイへ渡った移住者からは、家族への送金や郷里の神社や学校への寄付が行われました。

ハワイがアメリカに併合されてからも多くの人々が周防大島からハワイへ渡り、ハワイ社会にて活躍する周防大島人も多くいました。戦後には多くの寄付や物資がハワイから周防大島にもたらされました。

そういった歴史的背景から1963年に周防大島とカウアイ島の姉妹島縁組が締結され、また移民の歴史を後世にのこしていくため、1999年に日本ハワイ移民資料館が開館しました。近年ではハワイからルーツ探しを兼ねて周防大島に訪れる方が増加しており、1885年から始まった周防大島とハワイとのつながりは現在も続いています。

施設・資料について

周防大島とハワイとの深いつながりを記念して、4年間の資料収集ののち1999年に日本ハワイ移民資料館がオープンしました。日本ハワイ移民資料館の建物は故福本長右衛門が建設した旧福本邸を再生活用しています。福本長右衛門は1881年に屋代村に生まれ、16歳の時に単身アメリカに渡り、のちに貿易事業で成功を収めました。1924年に周防大島に帰国し、1928年に今の日本ハワイ移民資料館の建物である福本邸を建設しました。

建設費は当時の金額で約3万円(現在の金額にして推定3億円以上)かかったといわれています。建築の素晴らしさはもとより、その和洋折衷の様式は渡航者が帰国後に建てたものとして大変興味深いものです。

移民資料館に展示されている資料は、ハワイから帰国した町民やそのご家族の寄付が多く、当時の暮らしを知ることのできる収蔵品や道具が展示されています。また、移民の歴史を知る為の歴史的資料や古文書、ハワイ移民のデータ検索コーナーなども備えています。展示品は一次資料が多く、ハワイ移民の歴史をより深く、身近に感じられる展示になっています。